2014年06月29日

ライジングサン(国士十三面)

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親リーチが流局し、微差のトップ目で迎えた東2局、1本場。
配牌は8種でバラバラ。

ホンイツと国士を見つつ8m切り。
これはかなり選びやすい一打だろう。


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ネックになりそうな中をいきなり引いて9種に。
ソーズホンイツに見せながらの国士へと方針が決定する。

ドラそばの4pを真っ先に連打。


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上家が動いた直後に南をツモって重なりのないリャンシャンテンに。
これで俄然やる気が出てきた。

とにかく他家に危険な2sを処理したくてしょうがない。
ここでは何をツモっても2sを切るつもりだった。


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なんと1pをツモって、重なりのないイーシャンテンに。
テンパイも同然だが、こう来たからには一刻も早くヤオチュー牌を引いてほしい。

上家、対面ともに捨て牌が脂っこい。
はたして間に合うのだろうか…


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キューマンキューマンと念じていると、
対面がツモ切り、上家がツモ切り、ぐはあっとなっているなう。


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今世紀一番震えたツモ。

麻雀やってて頭が真っ白になる瞬間ってなかなかない。


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無事に下家から召し取ることに成功。

これはダブル役満だっけ?とつまらないことを考える。


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人生初めての国士無双13面待ち。

さすがに嬉しくて感慨深くてニヤニヤしてしまった。


ちなみに、テンパイの時点で残り牌山33牌中ヤオチュー牌は14牌。
他家含めてツモ牌の42%がロン牌ということになる。

この終盤でさえもこの和了期待度の高さたるや、やはり13面張は伊達じゃない。



ラベル:天鳳 役満
posted by はぐりん@ at 12:39 | Comment(2) | 役満 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月12日

変則場

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原点のまま迎えた東2局。
マンズのホンイツを目指して迎えた8巡目。
一歩前進の7mを引いて、さて何を切る?





場況は、ドラ色のピンズが安く、字牌が捨て牌に少ない変則場といえる。
こういう場合、他家はトイツ手模様の変則手が入ってる場合が多い。

メンホンチートイツが最短とは考えているものの、
7mツモでメンツ手が見えてきた。
1枚切れの白を切るか、初牌の西を切るか。


こういう変則場は、暗刻系の大物手が入っているケースが多く、
初牌をかわいがりすぎると、重なりにくいばかりか、
後々超危険牌となりやすいことを俺は知っている。

そこで、見切りの西切り。


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なにっ!?

チートイドラドラに刺さっちまったか?


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(゚Д゚)じぇじぇじぇ!?


大物は大物でもトイツ手じゃなくてよりによって国士かよ…
しかし、上家の捨て牌は見事である。

ご覧のとおり、対面は一手変わり四暗刻の三暗刻テンパイ。
やはり変則場は大物手に要注意なのだ。


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おまけ 配牌



ラベル:天鳳
posted by はぐりん@ at 13:45 | Comment(4) | 天鳳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月08日

僅差での打ち方

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ここまで大物手が飛び交うも、比較的僅差で迎えた南3局トップ目の親番。

点棒状況は、親の自分から順に、31500、22100、21500、24900。

手なりで進めると、2打目に切った西を南家がポン。
さて、どのような考え方で手を進めていったらいいだろうか?





この局、考える一番重要なポイントは「局を長引かせない」ということである。

なまじファン牌をしぼったばかりに局面が長引くと、リーチが入る。
この局、自分の想定する最悪の展開は満貫級の親っかぶりだ。

なるべくなら安手の点棒横移動で終わってほしい。
他3家にとってもこの局の1000点は価値が大きい。
つまり、リーチが入る展開になる前に、空中戦に誘導できないかを考えるのだ。


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発を切ると、上手いこと鳴いてもらえた。

放銃になる前に真っ先に切るのがここでのポイントである。


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目論見通り、対面にも仕掛けが入ってこの局面となった。

たった今、上家が7mを切ってきたところ。
さて、何を切る?





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ここは、今は通るぞとばかりに7mを合わせてはいけない場面である。


下家は手出しの6sトイツ落としでホンイツ移行の線が強くなった。
7mはペン7m、カン7m、47mとマンズホンイツの超急所だ。

この7mをチーと言われた瞬間、下家の手はどうなるか。
一瞬で満貫級の手に成り上がってしまうのだ。

この局最悪のシナリオを満貫親っかぶりと想定していながら、
自らその状況を作り出すことはない。
下家にはもう、マンズは一牌もおろさない。
7mなど流局の墓場まで持っていく牌なのである。


つまり、この局の俺の仕事は発を鳴かせたところでほぼ終了である。
後は対面に放銃しないようにしながら、下家に対しては、
安手になるような牌のみおろしていけばいいのである。


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eccellent!!

対面のノミ手ツモあがりで上出来の親流れとなった。


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前局から引き続き、オーラス3巡目。

相変わらず微妙な点棒状況だが、さて何を考える?





ここで一番に考えるのは、自分が放銃しないということである。
天鳳では30000点に満たないと西入があるため、
実質放銃できるのは1000点までということで現実的ではない。

脇のツモあがりなら1000、2000まで許されるので猶予はある。
つまり、親のあがりを阻止しつつ、脇にあがってもらうというのがベストシチュエーションなのだ。


そこで、平凡にファン牌を降ろしていく。
親に鳴かれたとしても、そこから対応していけばいい。

ちなみに、親の切った2sに対して、長めのラグが入っている。
南家はなにかしらファン牌が入っているのではないかと思っていた。


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危険度の高い南から切ると、これを南家がポンしてダブ南確定。

少し対応が面倒くさくなった。


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南家がポンした直後。

ここでの一打は麻雀のセンスが問われる場面である。
何を切るか、真剣に考えていただきたい。






ここで真っ先に考えるのは、残ったファン牌、白発中の処理である。

無造作におろしていったとして、鳴かれた場合のことを考える。

親に鳴かれた場合は当然嬉しくない。

対面に鳴かれた場合は、3役が確定してしまう。
赤あり麻雀で3役確定というとはっきりいって満貫みたいなものだ。
捲られるリスクがぐっと高まって嬉しくない。

つまり、残ったファン牌を鳴かれて嬉しいのは上家のみなのだ。
ポンと言われた際、自分に有利なのが1/3の確率というのは切っていく価値に乏しいといえる。


そしてこの三元牌を絞るという判断に至った時に考えるべきことは何か?

親リーチである。

この場面、脇に8000なら自分はギリギリ3着残りだが、
親リーチに満貫を打ってしまうと、急転直下のラス転落なのだ。

白、発、中の3牌を絞る――その3牌分手が窮屈になるわけで、
次巡、親リーチが入った瞬間に手詰まりになるような牌組だけは避けなければならないのである。


そこで、この1pは大事にしなければならない。


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後々、全員の危険牌になりそうな8pを一枚はずしておく。

長ラグのあった2sはこの時点で放銃牌になっている可能性があるので
念のために切らない。大体は大丈夫だろうが、そのくらい放銃には神経質な局面だ。

マンズのカンチャンを払うでもいいが、
自分のあがりが見込めない以上、
とにかく親リーチに対する備えをしておくというのが本問でのポイントである。



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予定通り、ファン牌を絞りながら対面の捨て牌にギッチギチに合わせていく。

とにかく、対面への放銃を避けることが最優先であり、
仮に親に仕掛けられたら、その後対応していく構えだ。

中などが安全牌となり、少し受けに余裕が出てきた。


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eccellent!!


自分の手に、ドラドラ赤があり、満貫まではなさそうかなと思い始めたところ、
対面のゴットーツモで無事にトップ終了。

4sトイツ処理した直後に下家のソーズに47s受けができるというのも、
非常にラッキーな展開だった。


トップ目の場合になるべく西入にならない戦略を取っていくのも、
天鳳ならではである。



ラベル:天鳳 戦略
posted by はぐりん@ at 13:31 | Comment(2) | 天鳳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月06日

あがり逃し

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ノーホーラで迎えた東3局。
トップ目下家のリーチを受けた直後に、絶好のカン2mドラが埋まった。
さてどうするか?





下家の捨て牌にマンズはポツンと宣言牌7mのみで、
2筋にまたがる5mは超危険牌といえる。
ドラ筋の25mはともかく58mに刺さりたくない。

そうはいってもこちらの待ちはシャンポンとはいえ悪くなく、
打点的にも十分。
リーチ者がトップ目の子であるというのも天鳳的には行きやすい状況ではある。


呻吟の末、俺が選んだのは9pのトイツ落としだった。
片割れのトイツが安牌というのが、なんとなく光明のように見えたのだ。
これが一発目でなければ5m切りリーチといっただろう。


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2巡後に中をツモってさてどうする?





5mを勝負していれば本来あがりとなったはずの牌である。
この時点で感触は非常によろしくない。

唯一5mが放銃になる場合のみ、救われるケースであるが、
こういう場合は大抵5mはあたりじゃないと経験が教えてくれる。


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全然気は進まないものの、
ギリギリ勝負になる巡目&打点と見て5s切りリーチ。

リーチ直前に処理している5sを勝負しなきゃならないというのもなんだかなあという感じ。


リーチ後の心境としては、自分のあがりうんぬんではなく、
とにかく5mがあたりであってくれと願うのみ。

判断ミスによるあがり逃しの後に待っているのはどんな結果か、
嫌というほど今まで思い知らされてきたからだ。


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8p、3m、4p、6sという強烈な無スジを掴まされつづけるも、刺さらない。
これはもしや5mオナテンかもなと思い始めたところで4枚目の中が来る。

これとて一瞬考えてしまうぐらい、気が進まないカンである。

海底牌を引かずに済むなと思っていると、リンシャンから引いてきた7pを上家がポン。
ツモは増えるが、嫌な予感しかしない。


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直後に引いた6pで上家に2000点の放銃。
これだけ無スジが通れば、他家もかわしやすい状況が生まれるものだが、
予感は嘘をつかずに放銃という結果が待っていた。

むしろ、安くてホッとしたという感覚だろうか。

牌図のとおり、結果的には下家は25m待ちであり、
勝負感性としては間違っていなかった。

ところが、上家への放銃で局が終わったため、
下家の手が開けられることはなく、
実戦ではあがり逃しだったのかどうかがわからないままなのだ。

これが流局で終わっていれば、まだいける、という感覚になっていたかもしれないが、
放銃で終わったという結果も踏まえると、
あがり逃しだったのかなというモヤモヤ感しか残らなかった。


自分の勝負感覚が正しかったかどうかという一番重要な情報が伏せられたままになった上、
この局一番得したのがおそらくノーテンだったであろうラス目の対面ということも踏まえると、
もうこの半荘の自分はダメである。

自分の感覚が卓上に乗っているのかいないのかの羅針盤を失っている状態だから、
この先はなるべく頭を低くして、ラスにならないようにしよう、と思っていた。


俺は決して流れ論者ではないが、
あがり逃しというものがいかに勝負において重大な結果を招くかということを、
かなり意識して打っているということなのだろう。


予感の通り、途中まで対面との壮絶なラス争いを演じていたが、
驚くことなかれ、南3局に対面に18000を打ち上げた下家がこの半荘ラスに。
俺は最後まで気の抜けない3着残りだった。

局中には雲に隠れて見ることができなかった5m止めの判断が、
結果としてこのような形で表れるのだから、麻雀の因果というものは奥深い。



ラベル:天鳳
posted by はぐりん@ at 19:24 | Comment(0) | 天鳳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月03日

自由な麻雀思想

田村光昭氏の「最上級麻雀」に以下のような文章がある。

 何を打つか――打ってかぶり、その責任の所在を当人が身を持ってあかし、
そして半歩前進する。決してひねり技でその場をつくろったりしない。
ゆっくりと長い歳月をかけて歩んでいくのである。
 だからこそ「勝つ」ためにきゅうきゅうと腐心するのではなく、
「負けない」ために小技巧を乗り越える思想を獲得すべきなのだ。


あなたはこの文章を読んで、何を感じるだろうか?

今から30年以上前に出版された本の一節だが、
色褪せることなく麻雀の本質を端的に表している。
そればかりか、麻雀のスケールの大きさをまざまざと表現していて、感じ入ってしまう。


昭和時代の麻雀戦術書を最近読み返す機会があったのだが、
特に感じるのは内容が濃くて読みごたえがあるな、ということである。

とにかく最近出版されている麻雀戦術書は牌画に紙面を割くことが多いせいか、
おしなべて文字数が少なく、20分とか30分とかで読み終わってしまう。
1500円ぐらい出して買う本としては物足りないな、と思ってしまう。

阿佐田哲也氏の「Aクラス麻雀」にしても、田村光昭氏の「最上級麻雀」にしても、
安藤満氏「麻雀絶対に勝つ定石」にしても、一晩では決して読み終わらない豊富な内容があり、
それだけ時間をかけて作ったということがうかがえる。
いってみれば、長い年月をかけて獲得した技術を指南するといった感じだろうか。

時代が変わったと言えばそれまでかもしれないが、
一冊の本にかける情熱が今の時代のものよりはるかに大きいのである。


そもそも、麻雀は文系出身者の嗜好するゲームとして広められていった経緯があり、
戦術書にも文学的・感覚的な表現が多かった。

「ツキ」や「流れ」の存在もその一環として存在しており、
小説やエッセイのような感覚でさらっと読み進められるのが、当時の戦術書の特長だった。


ところが、ネット麻雀の普及ととつげき東北氏の出現によって、
デジタル革命ともいうべき、科学的麻雀観が大勢を占めるようになった。

数理や確率など根拠のあるもの以外を論じることがはばかられるようになり、
麻雀は文系出身者から理系出身者へのゲームへと様変わりした。
文壇が麻雀というゲームを自由に論じることができない環境へと追いやられてしまったのである。


科学的麻雀観は確かに、麻雀の技術向上において大きな貢献をした。
これはまぎれもない事実であり、かつそうあるべき事態であったということもできる。

しかし、一方で麻雀の自由な表現は奪われてしまった。
主観で語るすべての表現は切り捨てられる、そういう環境が生まれてしまった。


経済学、経営学、政治学などすべての学問において、
数理学が主流となる時期が確かにある。
しかし、どの学問においても過去の主張が見直される時期が来る。
折衷しながら新しい論が必ず出てくる。
さながら現在の麻雀は、「数理麻雀学」が主流の時期である。


しかし、俺は思う。
不完全情報ゲーム、かつ対人(しかも3人)ゲームである麻雀が、
「数理・確率」という枠のみでくくれるほど底の浅いゲームだろうか?

未知の何かに立ち向かうような、
もっとスケールの大きい壮大な何か、麻雀とはそういうものではなかったか?

名のある作家がこぞって目に見えない「ツキ」について語りだす。
これは麻雀の本質を理解していない滑稽なこととして一笑に付す、それはあたりまえのことだろうか?

俺はそうは思わない。
麻雀は人知を超えてスケールの大きいものだからこそ、
それに付随して想像力をかきたてるものなのだ。

伏せられた牌に思いを馳せるからこそ、
人間の想像力は無限に広がるのだ。
科学的には不確かなことだとしても、
新たな思いを紡ぎ、そして繋ぐことは人間において非常に重要な、発展性のあるものだと俺は思う。
これが将棋だとそうはいかない。なにしろ全部見えているのだから。


結局何が言いたいのかというと、
麻雀は自由な気風のゲームなのだから、
もっと自由に表現してもいいのではないかということ。

ツキについて語ったり、
オカルトについて語ったりすることを話にならないと切り捨てずに、
それも麻雀の魅力の一つだと寛大な気持ちで受け入れる。
そうすることによって、麻雀のエンターテイメント性は向上するし、
個々人がもう少し伸び伸びと麻雀に接することができるんじゃないかなあと思うのである。


最近の若手プロの出版物を見ると、
何かのどの奥に物が詰まったようなそんな窮屈感を覚えて面白くない。
麻雀は科学的でも人間は非科学的なんだから、
言いたいことを思いっきり伝えた方が、書く方も読む方も楽しめるのではないかと思うのである。


今こそ、自由な麻雀思想が見直される時期ではないだろうか。



ラベル:思想
posted by はぐりん@ at 21:10 | Comment(0) | 思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする