2014年08月29日

超・最新戦術 『三元牌の切り順』

早速だが、下の実戦牌図8枚をご覧いただきたい。

いずれも三元牌を切っている場面だが、
白、発、中のうちのどれを選ぶかに、ある共通の意図がある。

その意図とは何だろうか?みなさんも考えながら見ていただきたい。



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これらの牌図の共通点とは、
場に見えている枚数の多い三元牌の隣を温存している、
つまり「裏ドラの乗りやすい方を先に切っている」ということである。


麻雀というゲームは4人でやる性質上、
自分のあがり確率は単純に考えて最大25%程度にしかならない。

逆に言うと、残りの75%はいかに点棒を減らさないようにするかという、
守りのゲームである
わけだ。

そういう観点から、自分の手にあがりが見えない場合、
失点期待値の高い方を先に処理するというのは至極当然の選択であるといえる。


一方、ものすごく自分の手があがれそうで守備を考える必要がない場合に限り、
裏ドラの乗る確率が高い方を残すべきだといえる。

しかし、あがりを拾えそうな手恰好を思い浮かべた時、
三元牌の重なりを期待するような手組になっているだろうか?

大抵は横に伸びた受け入れの広いピンフ形があがりやすいわけで、
そういう場合ファン牌はさっさと払っていることが多いものである。


さらに、裏ドラを考慮に入れる場合は、リーチが前提になるわけだが、
単独三元牌の選択を迫られるような自分の手恰好が、
門前でかなりのスピードを伴っているケースは稀である。

上記8枚の牌図いずれを見ても、さほどスピード感のある手ではない。


つまり、結論から言ってしまうと、
大抵の場合、三元牌は相手のリーチに備えて、裏ドラの乗る確率の低い方を残す方が得である、と俺は考えている。


なぜ三元牌限定であるのかというと、
それが全員に平等で有利不利がないからだ。

風牌は場や家によって差があるし、
数牌はどちらを切るかの選択に明確な優劣のある場合が大半だ。

逆に言うと、裏ドラのことを常にのんびり考えておけるのが三元牌なのである


相手のリーチはいつ飛んでくるかわからない。
三元牌の処理というのは序盤であることが多いが、
相手の早いリーチに対して安牌に窮した際、
やはり数牌よりも字牌に手がかかりやすいものだ。

そうした際に、少しでも失点の低くなる選択を心掛けるのは、
長い目で見たらプラスになるのではないだろうか。

特にラス回避が圧倒的に重要な天鳳においては、
不運かつ致命的な放銃を避けるべく、
このような細かい積み重ねが大事になってくる。



それでは、逆に裏ドラを期待して三元牌を残すケースはあるだろうか?

以下の牌図をご覧いただきたい。

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19700点持ちのラス目で迎えたオーラス。
トップ目の上家は27600点で、全員が30000点未満。


このようなケースでは放銃が順位に与える影響がほとんどないため、
裏ドラの乗りにくい白を切った方がいいだろう。

どうせ自分もハネ満をあがらなければこの局で終了とはならないため、
白が重なるよりも中が重なった方が裏3の期待はわずかに高まるからだ。

リーチ中赤裏3、これも視野に入れながら白を切り出す、と。


裏ドラの乗りやすい方を残す場合は、
自分がラス目であったり、点棒が必要な状況である場合、
またはダントツトップ目でさらなる加点をもくろんでいる場合などが考えられる。


それでは、以上のことを踏まえて、
どの三元牌を切るかという問題に挑戦していただきたい。


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問1 東3局、25200点持ち2着目の親番。
さて何を切る?





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解1 ここは発切りの一手。
ホンイツ仕掛けでファン牌は絞られている可能性がある。
こういうケースでの生牌は相手のリーチに対してかなり危険。
なので、裏ドラの乗りやすい発を先に切る。
自分は仕掛けているので攻撃の発残しというものがない。

序盤の何気ない2択とは違って、
ここでの選択は影響度がそれなりに大きいと考えていい。


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問2 18300点持ちのラス目で迎えた南1局1本場。
微妙な配牌をもらったところ、上家から電光石火の2巡目リーチが飛んできた。
さて、何を切る?





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解2 中切り。
同巡に切られたばかりの発と中。
トップ目がファン牌を仕掛けていないわけだから、
単純に考えたら東のトイツ落としよりも発か中の方が安全度は高いと言える。

ここでは、発が2枚見えで裏ドラの乗りにくい中を選ぶ。
親の現物の発も残って一石二鳥だ。


リーチによって相手の攻撃が明確化した時こそ、
裏ドラの乗りにくい打牌選択をした方がいいのは期待値的に明白である
ため、むしろこちらが基本問題である。

俺の提唱する戦術は、
相手のリーチがかかる前に裏ドラの乗りやすい方を切っちゃおうということである。



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問3 13000点持ちのラス目で迎えた東3局1本場。
首尾よく牌が重なって、チートイドラドラのテンパイ。
当然のリーチだが、さてどちらを切る?






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解3 裏ドラの乗りやすい方を残して発切り。

最終チョイスが三元牌での攻撃バージョンというかなり珍しいケース。
こういう場合にこそ裏ドラの考慮というものが生きてくる


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山には発の方が多かったが、あっさりツモ。


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目論見通り、発が裏ドラにいて4000・8000。

こんなに上手くいくことなど極めてレアケースだが、
長い目で見ると得であろうこともまた事実。

この三元牌裏ドラ考慮のメリットというのは、
場況に差がなく、どちらを切っても同じような場合に、
打牌に根拠を与えてくれるところにある。

指運ではなくて、根拠を頼りにすることによって、
放銃した場合にも納得がいきやすいという利点がある。


ちなみに、この戦術、
順位に与える影響としてはDクラスである。

俺が半年間天鳳でこの戦術を実戦した結果、
致命的な放銃を回避できたのはわずか1件だけと記憶している。

おそらくその99%程度はどっち切ってもいんじゃね?みたいな感じになるので、
労力の割に益が少ない戦術であるのは間違いない。


三元牌の切り順を考えるよりも、
リーチに対して何が一番安全なのかを考えた方が長期的な成績は安定することを申し添えておく。


一方で、コンピュータのアルゴリズムが麻雀に組み込まれる近未来において、
この序盤の切り順というのは確実に考慮されることもまた確かだ。

将棋においては近年、序盤の重要さが謳われるようになってきたように、
麻雀も序盤の研究がもっとなされるべきだし、
そこに常勝への活路があると俺は考えている。



ラベル:天鳳 戦術
posted by はぐりん@ at 15:05 | Comment(4) | 最新戦術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月23日

悪くない放銃

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前局、700・1300をツモられ現状2着目で迎えた東2局。

下家が4巡目に切ったドラの白を上家の親がポン。
下家も仕掛け返して牌図の状況となった。

放銃は避けたいものの、まともな安全牌は3sだけな上、
自分の手も形になってきて非常に難しい状況。

さて何を切る?





ここで注目するのは、
ドラを鳴かせた下家は仕掛け返していて、あがりの意志があるということ。

こういう場合、脇2人は割り込まずに様子を見るのが勝負の呼吸だ。

リーチや高い仕掛けで2人がバトルをしている状態において、
3人目が参戦するのはよっぽどの事情がなければならない

これは基本的なことだが、
勝負の質を高める上で非常に重要な考え方でもある。


単純な損得勘定から言っても、
下家が鳴かせたドラなのだからわざわざ自分が飛び込む必要はない。

責任論とかいうことではなく、
勝負の呼吸として、どういう決着が自然なのかというところを俺は大事にしている。


ところが、親の捨て牌には情報が少なく、
テンパイしているかどうかもわからない。
なおかつ自分の手には親に対して切りづらい牌しかない。

2sが4枚見えたということもあり、
よっぽど3sを切ろうとも思ったのだが、
次巡手詰まりには変わりないため、
それならばまっすぐに手を進めるのも有力と考え、俺は4m切りを選択した。


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ところが、これにロンの声が重なった。

親に11600点、下家に2000点。
呻き声も漏れる。

好形に押し出されてイーシャンテンからの放銃。
見方によっては最悪の放銃とも受け取れる。


しかし、俺にとって光明だったのは、下家へも放銃だったことである。

麻雀にもしもなんて言葉はないが、
親のテンパイ形が少し違っていたら、あるいは天鳳にダブロンがなかったら、
この放銃は親のチャンス手を潰す犠打になっていたからだ。

これが親にのみの放銃だったら、かなり感触の悪い放銃なのだが、
まっすぐいった意味が犠打になる可能性のある一打だったということで、
俺の中では「これで悪いはずがない」放銃という認識だった。


点棒的には2000点多く払っている方が悪くない放銃というのも、
はたから見れば滑稽に聞こえるかもしれないが、
一打一打の意味を考えることが、麻雀を深く打つことに繋がると俺は考えている。


そうはいっても、圧倒的苦境に立たされたことには何も変わりない。


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待望の親番、配牌を見てずっこける

8種で苦しい形だが、これを何とか仕上げていかなければならない。


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終盤までもつれた結果、13巡目にこの形でテンパイ。

6mも8mも場に3枚見え。

さてどうする?





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ここは当然の即リーチだ。

こういう場面では待ちの数など関係ない。
待ちが0枚でも即リーチといくべきだ。

それぐらいリーチの声に意味がある状況である。


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ほうほうの体で流局に持ち込む。

あの苦しい配牌から親権維持に持ち込めたのだから、
かなり手応えのある結果である。

こういう何事もないような一局から、
えてして風向きは変わっていくものである。


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次局、4本場。積極的に仕掛けて初あがりを得る。

700オールと得点的にはたいしたことはないが、
ゴゴゴと、何かがうごめいた気がした。


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見よ!この配牌を。

ミスをしなければ必ずチャンスは来るものだが、
台風が過ぎ去って晴れわたった配牌に加え、
東2局の放銃が悪くないという自分の感覚がある。

それを確かめるのに十分な局である。


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好ツモにうんうんと頷きながら、手なりリーチであっさりツモ。

裏は乗らずの4000オールで2着浮上。

これが俗にいうなんとかタイムの序章だった。


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次局6本場、ぎんもぢいぃぃぃぃ一発ツモで8000オール。


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7本場。終盤に無スジ3連打でとどめの11600


最近不調でここまで爽快な爆発など本当に久々なのだが、
東2局の放銃の意味が、このような形で結実してくれようとは、
感慨もひとしおである。


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南3局、1本場の親番。
点棒状況は自分から順に、57900、3200、38000、900。
2人が瀕死の重傷を負っている。

完全に仕上がっている俺の手は、
当たり前のようにドラをツモって4巡目にテンパイ。

勢いも考えて、ここはどうする?





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勢いという言葉にダマされてはいけない。
ここは100%鉄ダマの場面である。

こういうほぼ勝ちが決まっている場面での順位戦略というのは意外と重要だ。
何をやってもほぼ勝ちだからこそ、最後まで繊細にトップを守るべきだ。


ここでトップが逃げる展開というのがただ1つだけある。
それは何だろうか?

2着目対面への放銃である。

そして対面に対して放銃する可能性が最も高まるのは自分がリーチを打った場合なのである。

飛び寸がいる場合、高い手のツモあがりは即終了だし、
ノーテン罰符が払えない飛び寸者の放銃やノーテンで半荘が終了する可能性もかなりある。

つまり極端に言うと、この場面では自分の手牌うんぬんではなく、
対面に放銃しないことだけを考えるのが最もトップ率を高める方法であるとさえ言える。


自分のあがりにももちろん意味があるが、
ダマテンでどこからあがってもトップ率は下がらないし、
局が長引いて得することは何もないので、リーチする意味はないと言える。


実戦感情として俺はこの場面で、
ダマテンで3着目の下家からポッと当たり牌が出てしまうとラスに落としてしまうな、と考えた。

ラスの重みをわかっているからこそ、
それはなんとなく後味が悪く、
リーチにいこうかななどとも考えたのだが、それはきっと俺の甘さや傲慢である。

ここは遊園地ではない、戦場なのだ。
自分が殺らねば、殺られる。

相手をリスペクトしていればこそ、
ここは緩まずに全力でダマにし、しっかりと仕留める。
それが本当の強さというものだろう。


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何も心配する必要はなかった。

仕上がっていることを象徴するようなダマテン一発ツモで長い半荘に終止符。

2人飛ばしには届かなかったがまあ勘弁してやるか。



ラベル:天鳳 放銃
posted by はぐりん@ at 10:26 | Comment(4) | 天鳳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月17日

麻雀最強戦2014 女流プロ代表決定戦 予選B卓

近代麻雀2014・9・15号の付録DVDにて。
3戦とも非常に見ごたえのある内容だった。
まだ買ってない人はいますぐコンビニにGO!


3戦の中から、女流プロ代表決定戦について論評してみたい。

★東3局 西家石井

愛内の5pツモ切りの少しの逡巡を見て、
石井が3pをサシコミ気味に放銃。
この辺はさすがの捌きといったところ。

石井は東1局1本場で6000オールをあがって以降は、
終始一貫して無理せず、点棒を減らさないことに専念する。

その結果東1局2本場、南3局と2回のあがり逃しをする。
南3局はその結果親の二階堂にあがられることになった。

特別予選の勝又にも共通して言えることだが、
確実に2着に残るための最善の選択をしているようにみえて、
ベタオリ、サシコミ、あがり逃しの感じがどうも次戦の不安要素になっている感じが俺にはしてしょうがなかった。

勝ち上がるという結果こそ大事なのはもちろんなのだが、
前原さんや瀬戸熊さんならきっとまた違う勝ち方だっただろうなと思わされた。


★東4局 東家愛内 13巡目

一索二索二索三索四索四索五索五索五索六索六索南南
ツモ一索ドラ九索

3sが直前にリーチ者魚谷から出てこの牌姿。
3sがワンチャンスになったとはいえ、25sはかなり切りにくいスジに見える。
かなり難しい選択だが、愛内はここから5s切りで残り1枚のペン3s待ちに取った。

しかし、5sを押してしまうと現物待ちとはいえ、3sは脇からは期待できない。
俺は南のトイツ落としで、現物の1sはじめ、246sのポンテン構えに取りそう。

5s切りの優れている点は、18000のテンパイに取りながら、
かなりの危険牌を引いた場合は単騎のコロ変えでテンパイ維持ができる点にある。

愛内は次巡、自分の切っている5mツモであっさり3s切ったが、
この5mは押してほしかった。
魚谷のリーチは2m切っている4m手出しリーチで、
36mに比べたら58mは安全度が高い。
5s勝負の意味合いを考えたら、この5mぐらいは押さないと割に合わない。
これが36mなら止めてもいいと思う。万が一の出あがりもあるのだから。

俺が打っていたら魚谷から出た4sをポンして、3mを食い取り、放銃していただろう。


★南2局1本場 東家魚谷

親の魚谷、サイコロの目を見間違えて配牌の取り出す位置を間違える。
位置を間違うぐらいならギリギリセーフなのだが、
魚谷は取り出した4枚を開いて見てしまっている。

ここまでいくと、完全にアヤがついてしまって、
魚谷自身が負い目を追ってしまう。
こうなると、自然に勝ち上がる流れにはなりにくいと俺は考える。

しかし、うっかりさんで気恥ずかしそうにお茶目な笑顔を見せる魚谷。
魚谷が時折見せる愛嬌が俺は好きである。


★南3局

麻雀の面白さが凝縮した一局。
魚谷の南バックに対して、愛内がギリギリまでファン牌を絞っての南単騎リーチ。
魚谷の仕掛けは現代的には当然の仕掛けなのだが、
待ちが読める仕掛けとなると簡単には出てこないのも当然で、
南が姿を現さずに局面が煮詰まると逆にピンチに立たされてしまう。

愛内の見事なリーチに対して、
石井がオリたことによって、魚谷がオリ打ちするかと思いきや、
超危険牌の4sを押して一難を逃れる、これもまた見事。

そうこうしているうちに亜樹が追いつき、愛内から一発を召し取る。
局面が長引いたら、親リーチに押せない魚谷が南のトイツ落としをするのは自明であるため、
2着キープできた魚谷にとってはラッキーな局面であったといえる。
愛内の南単騎に放銃すると裏が乗って5200で、まずまず厳しいオーラス条件戦になっていたからだ。

攻防がめまぐるしく入れ替わり、非常に見どころのある一局だったが、
我慢しているといつかはチャンスがくるという見本のような亜樹のあがりであった。


★南3局1本場 西家石井 6巡目

二筒三筒四筒五筒七筒七筒七萬八萬九萬二索四索七索八索
ツモ九索ドラ九索

この場面、石井は2p切りダマテンに構える。
場況的に3sが山にいそうなどという状況ではないので、
俺ならば2sを切って役ありテンパイへの組み替えを考える。
局を進めることが最重要な場面なので、愚形役なしに構える意味はあまりないようにみえる。

ところが、これがスタイリッシュ石井の感性なのか、
6sツモ2s切りから5sカンチャンをツモってしまう。
4sを残しておけば最終形は一緒だが、このあたりはさすがの感覚である。


★同南3局1本場 南家愛内 10巡目

中中中一索二索二索三索五索一萬三萬四萬五萬六萬
ツモ五索ドラ九索

愛内は2s切りダマテン。
ここはツモで1300・2600という点パネができたのだから、即リーチといくべきではないか。
何より、場況から2mはかなり山にいそうに見える。
実際、2mは2枚山にいた。
手変わりしてもツモ1000・2000に格下げだし、2m出たらどうするのか。
ロンで1300は1600をあがっても自分で自分の首を絞めるだけのような気がする。

このダマテンによって本来切れない魚谷の36sが飛び出し、
結果的に石井がツモあがる。
愛内にとっては痛恨の一局だったような気がする。


★南4局 北家 亜樹 2巡目

六萬六萬六萬七萬八萬八萬三索三索六索六索南北白
ツモ八筒ドラ六萬

ドラ暗刻ビルトインの配牌をもらった亜樹はあがれば勝ち上がりの局面。
亜樹はこの8pをツモ切り。
トイツ場の意識があって字牌が切りづらかったというのもあるかもしれないが、
俺ならば絶対に場に1枚切れの白を切る。

嬉しくない9pツモをのぞいても、白の残り2枚と引き換えに、678pの11枚を犠牲にするのはあまりに痛い。
ここはあがればいいのだから、単純牌効率でいいわけで、
結果的には8pをかぶり、本来なら敗着になってもおかしくなかった。

ここらへんの貪欲さみたいなものが亜樹にはほしい。

亜樹の雀風はかなり守備型で、耐え忍んで花を咲かせるその雀力は誰しも認めるところだが、
双璧をなす魚谷との一番の差というのは、
勝ちに執着する圧倒的な気迫」これに尽きると思う。

雀歴も長く、テレビ慣れもしている亜樹だけに、
最近女流モンド杯などでみせる表情に余裕がありすぎるかなと思ったりもする。

感情の伝わる打牌を、魂を込めた打牌を視聴者に伝えることが、
今後の飛躍のカギになると俺は密かに期待している。


★同南4局 東家愛内 11巡目

四萬四萬六萬七萬三索四索六索四筒五筒五筒ポン七筒七筒七筒
ツモ五索ドラ六萬

愛内が7pポン、亜樹が6sポンであきらかにトイツ場の様相のところに、
この5sツモ。

個人的にはかなり切りたくない3sであるが、
魚谷の2打目5s切りによって69s待ちはありえるし、
1sが3枚見えてペン3sの可能性が低くなっているため、愛内の3s切りは仕方ないだろう。

これを亜樹がポンしてテンパイ。
2打目8p残していればこの3sであがっていたはずである。

これで誰が勝つのかわからなくなったが、
最後に愛内が掴んだのが、7mだった。

自分が1枚切っている7mでしかもトイツ場。
「不調時の放銃」「トイツ場の捌きの失敗例」で紹介したまさにこれがthe当たり牌である。

そこらへん愛内も理解しているようで小考の末、覚悟を決めたように打ち出して放銃。

最後の牌運は亜樹にあった。

魚谷はシャンポンの片割れラス牌の東が打たれた直後のテンパイというのが、
いかにも雰囲気の悪いオーラスであったが、
やはりそれを生んだのは取り出し位置を間違えた南2局
あの山ずれと攪拌のわずかな誤差が、勝負の趨勢を分けたのだと俺は密かに思っている。


余談だが、愛内は伏し目がちよりも顔を上げた方がチャーミングでかわいらしい。
オーラス開始直前、その片鱗が捉えられているので、男性諸氏、確認していただきたい。



ラベル:評論
posted by はぐりん@ at 10:23 | Comment(2) | 天鳳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月04日

わざ降段の是非

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つい先日まで十段という誇らしい身分にいたのもつかの間、
到達から1ヶ月足らずの現在、九段ポイント45pt/3600ptというていたらくである。


特上の場合はポイント効率が悪いので、
1ラスの損失補填をトップ率で補っていかないと現状維持は難しい。

ところが、トップは運がなければ取れない

段位の性質上、ラスのリスクを顧みずにトップを狙ってくる打ち手も多いため、
ラス回避主眼になるとどうしてもトップ率が低くなってしまう。
これが特上で高段位を維持するのが難しい理由である。



さて、このぐらいのポイントになって取りうる手段に「わざ降段」というものがある。
巷ではこのわざ降段をめぐって様々な議論が展開されているようだ。

今回はわざ降段に関する俺自身の私見について述べてみたい。


わざ降段は確かに、天鳳段位戦の頂点「天鳳位」を目指す上では最も効率のいい行為だ。
ラスが圧倒的な敗者である天鳳において、
自分の名誉をかなぐりすててまでストイックに降段できるそのいさぎよさには、
ある種のかっこよさすら感じる。

わざ降段のメリットを十分理解した上で、
かつ打牌や順位戦略は個々人の自由だという前提は承知の上で、言わせてもらう。


わざ降段は「天鳳」というゲームにおいては正しい行為であるが、
「麻雀」においては正しくない行為である
と俺は考える。


つまり俺自身はしない。
わざとラスをひくなど恐れ多くてできない。


麻雀とは終わりなきマラソンのようなものである。

途中で走るのをやめたり、歩みを止めたりするものが、
最後ゴールテープが見えた瞬間の競り合いに勝てるだろうか?

その瞬間だけに力を出そうとしてもそう都合よくいかない、それが「流れ」というものである。


それと同様に、わざとラスを引くような打ち手に、
最後麻雀の神様は微笑むかといったら、微笑まないと俺は考えるからである。


最強戦の決勝オーラス、あがりトップの局面。
わざ降段をした打ち手にあがりきれる手が入るだろうか?


もう少し科学的に話すと、
麻雀の道義に反する「わざとラスを引くという行為」というのは、
結局その人の疵(きず)になる。

最終最後の局面で、本人が無自覚であろうとそういう疵が深層心理で作用して、
選択ミスをしてしまったり、あるいはその疵を咎められるのではないかと考えるのだ。

とんでもなく非科学的で突拍子もないことを書いているようだが、
案外人間の精神構造などこんな風に脆弱にできているものだ。


だからこそ、常日頃から麻雀においても実生活においても、
仁義を大事にして相手に借りを作らないこと、
自分に嘘をつかずに真摯な一打を放っていくことというのはとても大事なことだと思うのだ。


話が飛躍しすぎて恐縮だが、
結局のところ何が言いたいのかというと、
自分はわざ降段は流れが悪くなるのでやらない、とそういうことだ。


十段に返り咲いたとき、
一番自分で意識していたのは「海より深く打つ」ということだった。

とにかく好調を維持するために、どうすればいいかを自分なりに模索し、
深く打ってそれでラスになったのなら本望という考えに至っていた。

現実は厳しく、結果には結びつかなったが、
このように麻雀に運命論的な考えを結びつけるのも、
興趣があって面白いものである。



ラベル:天鳳 思想
posted by はぐりん@ at 12:42 | Comment(6) | 思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする